2019年10月4日金曜日

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秋の日はつるべ落としとはよく言ったもので、このところぐっと日は短くなり、過ごしやすい気温の日も増えてきた。

今回もまた愚痴が多くなりそうなので、先にお詫びしておきたい。まずはじめは、アナログとデジタルの話である。とは言っても、PWMやDCCなどと言った制御方式の話ではない。

結論から言うと「複製(コピーでは無い)の可否によって作品の価値が変わることはない」という話だ。例えば、紙に描かれたイラストと、パソコン上で描かれたイラストがあるとしよう。前者は一点物であるのに対し、後者は簡単に複製が可能なわけだが、仮にプロに依頼をして描いてもらうとすれば、どちらにしても相応の対価が必要である事は誰でも分かると思う。そうして製作してもらった作品は、仮にデジタル作画であっても無料で公開する人は少ないだろう。

しかし、模型向けのサウンドデータとなると、これを理解できない人が少なくないようだ。私が聞き及ばないだけで、3Dデータでも同じ現象が起きているかもしれない。これらはデジタルデータである事から、完成したデータさえあれば複製は非常に容易である。言い換えれば、その気になれば簡単に人の手に渡すことが出来るわけだ。しかし、先に挙げた例と一寸違わず手間のかかった作品であり、その価値が変わる事はない。簡単に複製出来るのはデジタルデータの大きな利点だが、だからと言って公開や譲渡が"当たり前"と思っている方があれば、認識を改めて欲しい。もっとも、このブログの読者にそんな人はいないと思うが……。

これに遠からず近からずな話として、技法の一般化に関しても触れておきたい。新たな技法には最初の1人が必ず存在するわけだが、必ずしもその最初の1人の名が残るわけではない。名が残るのは、その技法を誰もが真似できるよう、まとめ、発表し、一般化に成功した人の名前である事が多い。また、よくある話として、自分が最初に思いついたと思っていても、同時に、ないしはそれ以前に他の人が思いつき実行していた。なんて事も少なくない。
光栄なことにインフルエンサーと呼ばれることもあるけれど、この機会にはっきりと書き残しておきたい事がある。私は自分の名前を後世に残したいとは思っていない。なぜなら、そんなものがあった所で業界には何の影響もなく、自分以外が得することは何も無いからだ。他の人の思いついた技法を、あたかも自分が思いついたかのように紹介して有名になったところで、虚しさ以外になにが残るだろうか? そんな事をするくらいなら、しっかりと原案者の名前も紹介して義理を通した方がよほど気持ちが良い。こう言ったところで信じては貰えないのだろうが、もしも技法を横取りされたと恨む人がいれば、それは私からすれば、とんだとばっちりである。
この場合の技法に関しては、アイデアと言い換えても良い。ただし、技法とアイデアには1つ、大きな違いがある。それは、アイデアだけで作品は作れないという事だ。アイデアを実現するためには、それを作品に落とし込むための技術が必要であり、多くの技法はここで生まれる。そして、その技法は1つとは限らない。私個人としてはアイデアを思いついた人も尊重しているつもりだが、それはさておき、もしも自分のアイデアを自分の名前も含めて世に残したいと思う人があれば、それが作品に出来るまでは心に潜め、口外しない方が無難だろう。先述した通り、私は名前を残すという事に興味はないので、方々で思いついたアイデアを口に出してしまう事が多い。それは、自分の手では全てを実現出来ない事が明白だし、あわよくば誰かが実現してくれた技法を頂戴して、少しでも楽をしようと目論んでいるからだ。三人寄れば文殊の知恵なんてことわざもある。アイデアや技法の共有は、より多くのものを生み出す可能性があるし、私はそれを夢見て心を躍らせている。もっとも、これは強制するものでもないので、1人で取り組むのも大いに良いと思う。それこそ個人の自由だ。

9月の月末には軽便祭があった。色々と書きたい事は募るけれど、ここではぐっと絞りこんでプレ・イベントの講演にのみ触れたい。今年の講演の後半を担当されたエコーモデルの阿部敏幸氏は、筆者が特に尊敬している人物の1人だ。モデラーとしての技術やエコーモデル製品の開発、経営者としてももちろんそうだが、それ以上にその好奇心の旺盛さと観察眼の鋭さは、真似しようとして真似できるものではない。それなりに視野は広く持っているつもりだが、私なんかはまだまだである。
そんな氏の講演、内容は言わずもがな、紹介する順序や話術などなど、得られたものは非常に多い。講演の全体的な内容は来年に出版されるであろう「軽便讃歌Ⅹ」を見ていただくとして、その中から1つだけ中身を紹介したい。
スクリーンに映し出された軒下の地面の写真。よくよく見ると、雑草の中に筋状に草の生えていない薄っすらとした溝がある。これは、屋根から流れ落ちた雨水によって作り出された溝で、ここまで再現された作品は今のところ見た事が無いと。そして締めに一言、こういう部分まで再現される時代が、すぐそこまで来ていると思う、と。
このようなアイデア、気づきは我先に表現したいと考えるのが普通だと思うが、そうしなかったのは何故か。本当の答えは本人のみぞ知るだが、これをお読みの諸兄ならば大方の予想は出来るだろう。こういう所も含めて、私は氏を尊敬してやまない。念のために付け加えておくが、口に出していない本命のアイデアはほかにも一杯あると思う。

この際なので、なぜ筆者が視野を広くもつように心がけているのかに関しても触れておきたい。理由はいくつかあるのだが、第1は飽きっぽい性格だからだ。1つのことを突き詰めるというのはどうも苦手で、多くの場合途中で力尽きてしまう。色々なものをつまみ食いしたい性分なのだ。しかし、だからこそ得られるものもある。知っている知識が増えれば増えるほど、その知識以上のものが見えてきたり、知っている手段方法が多ければ多いほど、より適した手段を選べたり、それによって時間が節約できれば、より多くのものに目を向けることも出来る。これは目移りの激しい自分だからこそとも思っているので、このスタンスを変えるつもりは今の所ない。