2020年5月21日木曜日

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いつのまにか前回の投稿から半年近く経ってしまった。巷の話題は疫病一色だが、その結果として引きこもりがちとなり、模型の製作が捗っている人も少なくないのは不幸中の幸いというべきだろうか。そんな中、5/20に発売された鉄道模型趣味誌ではTMS鉄道模型コンペティション2020の告知が掲載された。

というわけで、今回の記事は去年開催されたTMS鉄道模型コンペティション2019の話題。

TMS誌を購読したことのある方なら誰もが知っていると思われるTMS鉄道模型コンペティション(以下TMSコンペ)だが、インターネットで調べるとその情報は意外に少ない。「受賞しました」という報告や「製作する上で気をつけるべきこと」といった内容の記事は見つかるのだが、作品の提出から返却の流れをはじめとした、いざ出品しようと思った時に1番知りたいであろう情報が案外少ない 。

そこで初参加の記念も込めつつ、初めての人が少しでも応募しやすくなればという思いも込めて日程の記録などを残しておこうと思い立った次第。


まずはじめに、提出日から返却日までの流れをまとめてみた。

(5/21 募集要項発表 TMS 2019年6月号 No.929)

6/20 応募用紙掲載 TMS 2019年7月号 No.930

6/25〜 申込受付(6/25〜) 

6/29 データシート受取(エコーモデル)

9/20 エコーモデルにて作品提出(受付期間:9/13〜24)

11/20 結果発表 TMS 2019年12月号 No.935

11/20 作品展参加の確認(往復はがき)受け取り

12/18 作品展参加者の懇親会参加確認(返信用ハガキ同封の封筒)

1/16〜1/22 作品展(IMON渋谷店)

1/18 懇親会

1/19 記事掲載 TMS 2020年2月号 No.937

2/7 返送完了のお知らせ(ハガキ)

2/8 エコーモデルにて作品受け取り


全体を見渡すと、応募用紙の受け取りから作品の受け取りまでで考えると半年以上かかっているが、提出から発表に要する期間は2ヶ月であり、作品展に参加しなければ12月中には作品が返却されると思われる。ただし、作品の受け取り時期は応募の方法(直接送付、あるいはどの店舗か)によって変動するようで、最速は直接送付だったようだ。

TMSコンペ2020と2019を比較すると、2020では応募用紙の掲載が1ヶ月早くなり、受付期間が数日伸びている模様。上記はあくまでも2019の場合なのでその点は注意してほしい。また応募方法に関して、例年からNゲージ部門は宅配便での直接送付のみとなっている。

さて、最初の一歩となる「データシート」の受け取りだが、これは協賛の模型店ないしは機芸出版社から直接郵送で受け取ることになる。ものとしてはA5サイズの茶封筒で、中にはデータシートと400字詰めの原稿用紙5枚が入っている。提出する際には作品に加え、これらのデータシートと原稿を記入した上で同封することになる。原稿はパソコンで作成しても良く、必ずしも原稿用紙を使う必要性は無い。ただし、必ず紙媒体へ印刷する必要があるほか、CDなどの記録媒体も同封するのが望ましいとのこと。封入されている原稿用紙は合計2000字だが、これも特に制限があるわけではなく、もっと長くても良いとの事。(ちなみに私の記事は4000字程度。)そのまま掲載されるわけでは無いと聞いていたが、本誌記事として掲載しうる文章であればそのまま掲載となるのが通例のようだ。

CDなどの記録媒体を使って制作途中などの写真を同封する事も認められており、出来るだけ多く添付した方が、いざ記事となったときは良い記事としてまとめて貰えると思う。私は途中に撮影した写真もほぼ全て(約200枚)添付した。そのほか総評でも触れられていた通り、輸送時の作品破損がことのほか多いらしく、普段持ち運んだりする機会の少ない人には梱包方法によく注意してもらいたいとの事。個人的な経験としては、収納箱の中では車両が遊びすぎない程度にキッチリ収め、宅配のための梱包ではダンボール箱を揺すると収納箱が中でほんの少し動く程度に緩衝材を詰める(緩衝材を詰め込みすぎると衝撃が吸収されず、緩衝材として機能しない)と破損が少ないようだ。

TMSコンペ2019では数十年ぶりとなる展示会が開催されたほか、初めての試みとして懇親会も催された。対象は準佳作以上を受賞したなかでも展示会に作品を出品した応募者で、発表を見ての通り年齢層は非常に高く親子ほど年の離れた方も多かったが、私の性格のせいか、年の差を忘れる楽しい時間を過ごすことができたので今後の開催にも期待したい。のだが、疫病騒動が落ち着くまでは開催が困難と予想されるのが何とも惜しい。はやく収まってほしいものだ。

懇親会では様々な話題が飛び交ったが、中でも気になる人も多いであろう3Dプリントを活用した作品に関しての話題だけ書き留めておこうと思う。そもそも製作方法がどの程度審査に影響するのか?結論から言えば、上位入賞者のほとんどは「製作方法は関係ない」と思っている事がわかった。私はデジタルが苦手だからアナログ的な手法で作っているだけで、別に3Dプリントを使えるならば存分に活かすべきだし、それによって評価が左右されては面白くない。というわけだ。「出来上がったものが全て」というのは私も同じ事を思っていたし、やっぱり皆んな同じように思っているんだなぁと納得した次第。逆に言えば、フルスクラッチだから凄いという訳でもなく、製品では納得できないからこそのフルスクラッチに腕が伴っているから評価されている訳で、自作した行為自体が評価される事もない訳で、実に明快だ。

まだまだ書きたい話題は尽きないが、あまり長くなっても読んでもらえなくなると思うので、今回はここで一旦締めたいと思う。

2019年12月31日火曜日

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このところは風も冷たく、12月も末になってようやく冬らしい陽気になってきた。しかし、ふと忘れた頃に暖かい日もあったりして、どうにも調子が狂う。体調を崩している方も多い様子、体調管理には十分に気を付けたい。

先月の中頃、ツイッターのタイムラインに信じられない情報が舞い込んだ。中澤 寛氏が亡くなったというのだ。当初は誤報だと思いたかったが、その後に他の方からも同様の情報発信があり、残念ながら事実である事を受けいれた。氏と直接の面識があった訳ではないものの、春先の鉄道模型芸術祭、秋口の関東合運でお話を伺っていただけに、ショックは大きい。
氏の作品は、一言で表せば「よく走り、よく動く」模型だったと思う。台車にはイコライザが組み込まれ実にスムーズな走行を実現し、ドアやステップもモーターによって動作する。作品によってはトロリーポールも動くなど、見る者を圧倒させた。しかし、何よりも素晴らしかったのは、その技術を惜しげもなく発表し、公表されていた事だと思う。
鉄道模型趣味誌への記事もさることながら、実際にお会いすれば、そのような誌面には載せきれなかった数々のノウハウを、見ず知らずの私にさえも教えてくださった。
関東合運の際には、ドアを開閉させるためのレールとコマのユニット(ドアエンジン)の説明を訊くことが出来た。概要としては、エコーモデルで販売されている角パイプを上手く組み合わせ、駆動軸の軸受けは丸パイプを角パイプにはめる事で中心をだす他、コマには適度なガタつきを持たせるのが上手く動かすコツであるという事であった。手加工で出せる精度には限界のある事をよく踏また、失敗を積み重ねてようやく辿り着いた手法である事は想像に難くない。その場で見せてもらったドアエンジンが搭載される予定であったと思われる、西鉄の路面電車の完成を見ることが出来なかったのは重ね重ね残念である。氏は几帳面な性格で、1両作り始めたら、その車両が完成するまで他の車両には一切手をつけなかったそうだ。今後、その仕掛かりの西鉄がどうなるのかを知るすべはないが、此岸でも彼岸でも、此岸であれば腕の立つ方が引き継ぐ他ないだろうが、どんな形であれ完成を迎えたら良いなと、個人的には願っている。

さて、ここからは愚痴ブログ節が全開になってしまうが、本来であればタブーな妬み嫉みの話だ。
出会う以前から有名人なら何とも思わないのだろうけれど、身近だと思っていた人が急に評価され始めたり、はたまた年下なのに自分よりも腕が立ったり、同じ条件であるはずのあの人が誘われているのに、何故か自分は誘ってもらえなかった、などなど。立場によっては、思いもよらず妬まれることがある事を、このところ痛感している次第。
妬みを買うと言うことはそれだけ恵まれた環境なわけで、これは一重に周囲の方が良くしてくれているからであって感謝の念に堪えない。周囲にこう言うと謙遜だと怒られるが、自分の工作の腕は大したことないと本気で思っている。これは人付き合いにしても同じだ。もっと凄い人はこの世の中に幾らでも存在するわけで、あえて自認しているところがあるなら、まぁまぁの器用貧乏である事くらいだ。
そんな自分だからこそ、妬み嫉みの感情もある程度は理解できるつもりだ。入手困難な品は見たくないし、行きたくても行けないクローズドな集会にモヤモヤした経験もある。今だって、工臨や不定期回送の情報を得る機会はないから、そんな列車の格好良い写真を見ては「良いなあ」と指をくわえている事も少なくない。ただ、自分の本懐は模型にあると思えば、さほど羨ましいという訳でもなく、この辺の感情はうまく処理している。そんな私も、今となっては逆の立場になりつつあるらしい。たしかに、非公開の場に顔を出す機会も増えた。
思うに、あの人が居たら楽しくなりそう。盛り上げてくれそう。話をしていて楽しい。そう感じさせてくれる人であれば、よほど引きこもっているわけでもなければ、遅かれ早かれ声はかかるのかなと思う。行きたいオーラを出しているのに箸にも棒にもかからないのであれば、自分の行いを振り返ってみる事をお勧めしたい。私が顔を出している場所は、(昔は知らないが、今は)どこを見渡しても全員が全員凄腕という訳ではない。

自分には出来ないことが出来る人に対しての嫉妬や不安、それまで自分が築いてきたものの価値が下がるのでは無いかという危機感。そして、そこからくるのであろう、批判的・排他的・攻撃的な姿勢をとる人は、この1年で多く目にしてきた。それ自体はもう仕方のないことだと思うが、せめて自分くらいは無用な矛を人に向けないよう気をつけたいと思う。

今年の最後くらいは明るい話題で締めくくろうかと思ったのだが、困ったことに良い話題が思い浮かばない。というのも、そもそも明るい話題はツイッターで広く発信しているわけで、ここはその裏側、それと分かった上でも、あえて読みたい人へ向けた、負の感情や短文では誤解を生みそうな私感を吐き出す場所なのだから、思い浮かばないのが道理である。いや、正確には、嬉しい出来事や発見、密かに進めている前向きな案件も多々あるのだが「今はまだ語るべき時ではない」という、かの有名な一文を借りて今年の締めくくりにしたいと思う。

2019年11月19日火曜日

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朝晩は肌寒く、11月も後半に差し掛かり、ようやく冬の近づきを感じるようになってきた今日この頃。先月は更新しそびれてしまったので、そのぶん少し長めの記事になった。

突然だが「機玄」という言葉を耳にした事があるだろうか。このところ一部の界隈では話題に上がっていたので、ここの読者ならすでに耳にしている方も多いかもしれない。筆者も兼ねてから気になっている存在だったのだが、最近になってようやく入手し、読むことができた。
そもそも「機玄」とは、西尾音吉氏が1983年に出版した書籍の題名であり、同時に氏が理想とする模型を表すために考案した造語だ。この本には、機玄という境地に至った経緯が、自身の模型歴や製作技法、価値観、思想などを交えつつ語られている。その解釈は読み手によって大きく変わるらしく、読む価値は無いと言う人から一定の理解は出来るという人まで様々で、とても興味深い。とは言っても、これを読み物として楽しめる人は限られるであろうことは付記しておく必要がありそうだ。
さて、どんな内容であるのかが気になるところだとは思うが、正直に言うと要約するのは非常に難しい。というのも、その文面には抽象的な表現が少なくなく、かつ散漫で、読み手によって受け取り方が大きく変わってしまうからだ。強いて要約すれば、実物の再現を求めるだけでなく、再現するディテールを取捨選択し、個人の解釈を作品に落とし込む。また、量産化に適した機械加工を避け、手加工によって綺麗に仕上がる工夫を盛り込みつつ製作し、自らの手で創造する。そうした経緯を経て、実物を再現するのに止まらない、その人ならではの作品が出来上がれば、それは絵画,彫刻,建築,工芸などと並ぶ芸術作品になり得るのではないか。という趣旨の内容が綴られている。また、著者は日本的な簡潔さ(本文中に「能」などの例えがよく登場する)も理想として掲げている。
個人的な感想としては、思っていたよりも筋が通っていて、完全とは言えないまでも主張の大筋を理解することは出来た。ただし、自分がそれを実現できるかと言えば、答えは否だ。当方はそのような美的感覚を持ち合わせていないし、作品を作るにしても、芸術を目指しているわけではなく、どちらかと言えば実物と見まごうような模型を目指しているからだ。こんな事を西尾氏の前で言おうものなら日本人の心を忘れたのかと一喝されそうだが、事実なのだから仕方ない。
言うまでもないが、このようなスタンスに絶対の正解は存在しないし、優劣をつけようとするほど野暮なこともない。有り体に言えば「好きにすれば良い」だろう。

人によって、重要視する要素は異なることと思う。それはディテールであったり、色彩であったり、音であったりと様々だ。個人で楽しむ分には自らの好きな要素を突き詰めれば良いが、こと製品化となれば話は別だ。最多数派であると思われる、ディテールや印象把握は最低限抑えておかないと、新たな要素を詰め込んだところで空振りに終わってしまう可能性が高い。実にもったいないことだ。
商業である以上、コストダウンはある程度仕方ないと思うが、例えばパンタグラフを例にとろう。通常、電車であればパンタグラフは上げた状態で走ることが多いが、車両によってはそうでない場合もある。例えば電気機関車であれば交流区間では2基のうち1基しか使わないし、霜取り用のパンタグラフを備えた車両であれば冬季以外は畳んだ状態で運行される。何が言いたいかというと、こういう場合は「畳んだ状態」も実物のような状態になる、すなわち上枠と下枠の接点が集電舟よりも下になって欲しいのが心情ということだ。しかし、廉価な製品の多くはそうなっていない。パンタグラフが1基しかない普通の電車なら良いが、先に挙げたような車両でこうなってしまっては、興ざめする人も多いだろう。これに限らないが「この模型を手がけた人は分かって作っているなぁ」と思える模型を、私はよく「心のわかった模型」と表現している。心のわかった模型は、知識のない人にもそこはかとなく良さが伝わることが多く、一般受けも良い。メーカーに限らず、個人の作品にも同じことが言えると思う。具体的な例を挙げるのは難しいだけに偉そうなことは言えないが、そんな風に思ってもらえる作品を心がけたいものだ。

作品といえば、11月発売のTMS(2019年12月号)には、1年の休止を経て開催されたTMSコンペの結果発表が掲載された。私事ながら、拙作のDC20はありがたくも佳作を受賞した。そもそもコンペは意識していなかったものの、自分の力だけで作り上げたものでも無かったので、嬉しさと悔しさと申し訳なさが同じくらいの割合で渦巻いていて、ちょっと複雑な心境だ。工作力や仕上げの面で入選作に及ばないのは自明だが、準佳作には私以上の工作力をもって仕上げられた作品もあるように思えるので、サウンドやウェザリングなども含めた、総合的な判断での佳作だと思っている。そういう意味で不満は全く無いので、そこは理解してもらいたい。
このようなコンクールやコンペには上位賞があり、その受賞枠の数も決められていることが多いが、その判定基準は大きく2つの傾向に分けられる。過去の受賞作品を考慮するか、考慮しないかだ。後者の場合は必ず所定数の受賞者が生まれるが、前者の場合はそうでない。平均レベルが下がってくれば、上位賞の該当数は減少する。ご存知の方も多いと思うが、TMSコンペは後者だ。
過去の受賞作品を考慮するとはいっても、これまたいくつかの傾向に分けることが出来る。TMSコンペのTMS賞、特選、一部の入選においては、作品の仕上がりだけでなく、その時代において革新的であるか否かも考慮して決めているようだ。分かりやすく例を挙げれば、2年前の特選と同じ方向性・クオリティの作品でも、2年経ってしまえば特選には選ばれないという事だ。TMSコンペの初回は1981年だから、それから進化し続けてきた事を考慮すると、そうそうTMS賞や特選が出せないのは納得なのだが、かといって余地が残っているのかを考えると頭が痛いのは、なにも応募者だけでなく編集部も同じであるような気がする。触れている人を見かけなかったが、今回の募集要項に特選が設定されていなかったのも、そんな事情を考慮したからなのではないだろうか。

それはさておき、受賞作の傾向から判定基準に関して、もう少しだけ私なりの考察を書いておきたい。まず、完成品加工、キット加工、自作など、製作方法に関してだが、これは基本的に考慮されていないと思う。あえて差が生じるとすれば、甲乙つけがたい作品が横並びになった時、はじめて自作の方が上になるくらいの、微々たる差だろう。これは車種にも言えそうで、蒸気機関車だろうが電車だろうが気動車だろうが、この違いはほとんど考慮せず、あくまでも最終的に形となった、全体のまとまりや作り込み、その仕上げのバランスを見て決めているようだ。そういう意味では、パーツ点数が多くバランスが崩れやすい制式蒸気などは、いくらか不利かもしれない。講評を読む限り、もはや電車や気動車といった車両では床下まで作り込むのが“当たり前“で、ボディの作り込みだけでは評価されないと見て間違い無いようだ。(ボディが素朴であれば床下機器も素朴な方がバランスが取れていて好ましいものの、その方向性で作り込みされた作品に対抗するのもまた難しそうだ。)
これに通じる事として、製作技法や素材へのこだわりも、これまたあまり評価されないようだ。もっと今時の表現をすれば「縛りプレイは評価されない」と見て良いだろう。自作だから評価されるとは限らないのは、ここに起因している。自作作品の方が上位に多いのは、拘りの強い方であれば分かると思うが、単純に「自作した方が出来が良い」からであって、自作という行為自体は評価されていないようだ。

次に、あくまでも先達から伺った話だが、コンペ開催は掲載作品の募集も兼ねている事から、作品とともにデータシートの内容も重要視されるそうだ。記事としたときに読者が求めていること、製作途中の写真や、一般化できそうな技法、テクニックが記事に盛り込めそうであれば、評価が高くなるのも納得だ。そういう意味では、苦労を伝える努力、アピールも面白いかもしれない。たとえは3Dデータから作り上げた作品であれば、そこはかとなくバランスの良くない状態の画像を添付したり、その際の造形の調整、どのようにまとめ上げていったのかが分かる資料が添付してあれば、それは評価に繋がるかもしれない。あと、ここに書いて良いのかわからないが、基本的には試走も行なっていないらしいと耳にした。動きも売りとなる作品であれば、記録媒体に動画を添付しておいた方が良さそうだ。
長々とコンペについて書いてきたが、最初に「コンペは意識していなかった」と断ったのは、つまりはそういう事だ。これらのような傾向に対する対策を練り、作品に落とし込まなければ、TMS賞や入選を狙う事は出来ない。仮に意識せずに受賞出来ているのであれば、それは真の天才であって、我々凡人には縁のない話だ。

なかなか有意義な経験だったので2年後もまた出品してみようと思うけれど、このままでは同じく佳作が精一杯だろうなぁと思う。それでも出品してみる価値のある催しだと思いますよ。と周囲にお勧めして、今回の締めくくりにしたい。

2019年10月4日金曜日

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秋の日はつるべ落としとはよく言ったもので、このところぐっと日は短くなり、過ごしやすい気温の日も増えてきた。

今回もまた愚痴が多くなりそうなので、先にお詫びしておきたい。まずはじめは、アナログとデジタルの話である。とは言っても、PWMやDCCなどと言った制御方式の話ではない。

結論から言うと「複製(コピーでは無い)の可否によって作品の価値が変わることはない」という話だ。例えば、紙に描かれたイラストと、パソコン上で描かれたイラストがあるとしよう。前者は一点物であるのに対し、後者は簡単に複製が可能なわけだが、仮にプロに依頼をして描いてもらうとすれば、どちらにしても相応の対価が必要である事は誰でも分かると思う。そうして製作してもらった作品は、仮にデジタル作画であっても無料で公開する人は少ないだろう。

しかし、模型向けのサウンドデータとなると、これを理解できない人が少なくないようだ。私が聞き及ばないだけで、3Dデータでも同じ現象が起きているかもしれない。これらはデジタルデータである事から、完成したデータさえあれば複製は非常に容易である。言い換えれば、その気になれば簡単に人の手に渡すことが出来るわけだ。しかし、先に挙げた例と一寸違わず手間のかかった作品であり、その価値が変わる事はない。簡単に複製出来るのはデジタルデータの大きな利点だが、だからと言って公開や譲渡が"当たり前"と思っている方があれば、認識を改めて欲しい。もっとも、このブログの読者にそんな人はいないと思うが……。

これに遠からず近からずな話として、技法の一般化に関しても触れておきたい。新たな技法には最初の1人が必ず存在するわけだが、必ずしもその最初の1人の名が残るわけではない。名が残るのは、その技法を誰もが真似できるよう、まとめ、発表し、一般化に成功した人の名前である事が多い。また、よくある話として、自分が最初に思いついたと思っていても、同時に、ないしはそれ以前に他の人が思いつき実行していた。なんて事も少なくない。
光栄なことにインフルエンサーと呼ばれることもあるけれど、この機会にはっきりと書き残しておきたい事がある。私は自分の名前を後世に残したいとは思っていない。なぜなら、そんなものがあった所で業界には何の影響もなく、自分以外が得することは何も無いからだ。他の人の思いついた技法を、あたかも自分が思いついたかのように紹介して有名になったところで、虚しさ以外になにが残るだろうか? そんな事をするくらいなら、しっかりと原案者の名前も紹介して義理を通した方がよほど気持ちが良い。こう言ったところで信じては貰えないのだろうが、もしも技法を横取りされたと恨む人がいれば、それは私からすれば、とんだとばっちりである。
この場合の技法に関しては、アイデアと言い換えても良い。ただし、技法とアイデアには1つ、大きな違いがある。それは、アイデアだけで作品は作れないという事だ。アイデアを実現するためには、それを作品に落とし込むための技術が必要であり、多くの技法はここで生まれる。そして、その技法は1つとは限らない。私個人としてはアイデアを思いついた人も尊重しているつもりだが、それはさておき、もしも自分のアイデアを自分の名前も含めて世に残したいと思う人があれば、それが作品に出来るまでは心に潜め、口外しない方が無難だろう。先述した通り、私は名前を残すという事に興味はないので、方々で思いついたアイデアを口に出してしまう事が多い。それは、自分の手では全てを実現出来ない事が明白だし、あわよくば誰かが実現してくれた技法を頂戴して、少しでも楽をしようと目論んでいるからだ。三人寄れば文殊の知恵なんてことわざもある。アイデアや技法の共有は、より多くのものを生み出す可能性があるし、私はそれを夢見て心を躍らせている。もっとも、これは強制するものでもないので、1人で取り組むのも大いに良いと思う。それこそ個人の自由だ。

9月の月末には軽便祭があった。色々と書きたい事は募るけれど、ここではぐっと絞りこんでプレ・イベントの講演にのみ触れたい。今年の講演の後半を担当されたエコーモデルの阿部敏幸氏は、筆者が特に尊敬している人物の1人だ。モデラーとしての技術やエコーモデル製品の開発、経営者としてももちろんそうだが、それ以上にその好奇心の旺盛さと観察眼の鋭さは、真似しようとして真似できるものではない。それなりに視野は広く持っているつもりだが、私なんかはまだまだである。
そんな氏の講演、内容は言わずもがな、紹介する順序や話術などなど、得られたものは非常に多い。講演の全体的な内容は来年に出版されるであろう「軽便讃歌Ⅹ」を見ていただくとして、その中から1つだけ中身を紹介したい。
スクリーンに映し出された軒下の地面の写真。よくよく見ると、雑草の中に筋状に草の生えていない薄っすらとした溝がある。これは、屋根から流れ落ちた雨水によって作り出された溝で、ここまで再現された作品は今のところ見た事が無いと。そして締めに一言、こういう部分まで再現される時代が、すぐそこまで来ていると思う、と。
このようなアイデア、気づきは我先に表現したいと考えるのが普通だと思うが、そうしなかったのは何故か。本当の答えは本人のみぞ知るだが、これをお読みの諸兄ならば大方の予想は出来るだろう。こういう所も含めて、私は氏を尊敬してやまない。念のために付け加えておくが、口に出していない本命のアイデアはほかにも一杯あると思う。

この際なので、なぜ筆者が視野を広くもつように心がけているのかに関しても触れておきたい。理由はいくつかあるのだが、第1は飽きっぽい性格だからだ。1つのことを突き詰めるというのはどうも苦手で、多くの場合途中で力尽きてしまう。色々なものをつまみ食いしたい性分なのだ。しかし、だからこそ得られるものもある。知っている知識が増えれば増えるほど、その知識以上のものが見えてきたり、知っている手段方法が多ければ多いほど、より適した手段を選べたり、それによって時間が節約できれば、より多くのものに目を向けることも出来る。これは目移りの激しい自分だからこそとも思っているので、このスタンスを変えるつもりは今の所ない。

2019年8月27日火曜日

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・ようやく梅雨が明けたと思えば、もう秋を感じさせる今日この頃。先月は愚痴ばかりになってしまったので、今回は工作に関する話題を。

・プラモデルなどのディスプレイモデルはさておき、鉄道模型はレールから集電したりする事で自走する模型だ。ともすれば「意のままに走る」のは当然であって然るべきだが、中々うまく行かなかったりする。例えば集電不良で止まってしまったり、レールに段差が生じていて脱線してしまったり、そもそもレールと車輪の規格が合致していない事さえある。

・今回は、この中でも集電不良、車両側で出来る対策について考えてみたいと思う。
・私の手がけた車両のなかに、カトーの16番クモハ12がある。ボギーの台車からは全輪集電されており、台車の追従性も高く、車輪は厚めだが、DCC化していることも相まってか、非常に良く走る。基本的には製品のそのままなのだが、デコーダーなどを搭載する都合でウェイトを撤去している。つまり、このモデルにおいて、捕重は集電不良対策としてほとんど効果が無い事を証明している。軽くても、台車の追従性が良ければ問題は起きないらしい。
・もう一点、手元にあるモデルからエコーモデルのDC20も紹介しよう。3軸固定のC型ロッド式DLで、車輪はいわゆる片側絶縁、絶縁側には踏面にエッチング抜きの燐青銅の集電ブラシを当てる事で集電している。駆動に関しては第2軸にギヤがかかっており、前後の動輪はロッド連動となっている。そこに、個人的な改良として、DCC化のためのデコーダーと、そのデコーダーに対応しているスーパーキャパシタ(電気二重層コンデンサ)も搭載する事で、少しの無通電区間なら走り続けるよう改良した。その結果、よほどレールが汚れているわけでも無い限りは止まる事も無く、これまた集電不良知らずな車両になった。このモデルもウェイトは搭載していないから、捕重はもちろん、固定軸の可動化ばかりが対策では無い事を証明していると思う。「踏面よりも車輪裏側にブラシを当てるべきだ」という意見もよく耳にするが、これに関してもどうやら踏面摺動でさほど問題は無いらしい。個人的には、当てる場所よりも接触圧力の調整が大事であるように感じる。
・これらの結果から、HO程度の大きさであれば、イコライザなどを組み込むだけが解決法ではないと言えるのではないかと思う。コンデンサの増設であれば、電子工作のハンダ付けが出来れば可能だし、精度の高い工作が必要なイコライザ組み込みよりもずっと手軽だと思う。

・集電不良対策としてDCC対応スーパーキャパシタ製品の例を挙げたが、もちろん万全の対策とは言えない。なぜなら、スーパーキャパシタをはじめ、全てのコンデンサは充放電を繰り返す事によって劣化し、いずれは機能を果たせなくなるからだ。恒久的なモデルを目指すなら、交換が容易な構造とするべきだろう。また、スーパーキャパシタなら問題ないが、一般的な電解コンデンサは極性の向きが決まっている他、耐電圧にも十分に注意したい。使用方法を誤ると急速に劣化が進行したり、最悪の場合破裂する。コンデンサは集電不良対策として有効な手段だが、用いる際には十分に勉強したうえで特性を熟知してから使用したい。自信がなければ、市販の製品を利用するのが間違い無いだろう。

(追記)信頼できる方より、コンデンサは充放電の電解液揮発よりも、封止ゴムの劣化で寿命を迎えるケースが多く、現代の製品では電解液も封止ゴムも改良されて20年前の製品と比較して寿命が延びているとのコメントを頂いた。コンデンサの寿命に関しては、あまり考慮しなくても良さそうだ。

・ここまでは1両だけで走ることを前提としていたが、そうで無い場合、俗に言うところの編成ものであれば、車間をジャンパして引き通し集電化するのも有効的な手段だ。博物館に展示される模型は多くの場合はこの手法で集電力を強化している事からも、その効果の高さが伺える。
・博物館模型の場合は、個人の模型と違い出したら収納する必要は無いため、確実さの面からもリード線がコネクタないしビス留めされていて、リード線は貫通路を通り抜けている。しかし、個人の作品の場合、ホームレイアウトに置きっぱなしに出来るのであればともかく、そうで無い場合は容易に切り離せる構造が望ましく、さらにリアリティを追求するのであれば、リード線が車内を這って貫通路を通り抜けているのは興ざめする向きもあると思う。
・こうなると通電カプラーが現実的な解決策となる。幸いにして、日本ではIMONからビスで簡単に取り付けることができる通電カプラーが発売されている。伸縮を確保しつつ通電し、上下も自由に可動する優れものだが、1点だけ大きな落とし穴がある。導電部分の黒染め処理の接触抵抗が非常に大きいのだ。具体的には1枚の皮膜で100〜150Ω、接触する部分は2枚の皮膜となるので最大で300Ωほどの抵抗になってしまう。これでは通電カプラーとしての機能を果たさない。
・この黒染め皮膜はサンポールをはじめとした酸性の液体に漬けることで剥がすことが出来るので、使用前に皮膜を取っておくことをオススメしたい。

・今月は大きなイベントとして鉄道模型コンテストとJAMが開催された。これに関する雑感は来月まとめたいと思う。

2019年7月25日木曜日

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・今年の梅雨は、梅雨らしさを通り越した雨の多さで気が滅入ってしまう。今や真夏でもジメジメした陽気だが、それでも良いから太陽の上がる夏空が待ち遠しい。

・ところでみなさん、各々に楽しんでいるスケールやゲージがある事と思う。1つだけという人もあれば、2つ3つ、果てには手当たり次第に手を出して、持っていないものを探した方が早いような人もいるだろう。スケールやゲージの選択は言うまでもなく個人の勝手であって、何を選ぼうと自由である。とは言っても、大きなスケールになればそれなりに金額も大きくなるし、発売されている車種も限られるので、自作でもしない限りは自ずと選択肢が絞られてくる。それはもう仕方ないとして、それ以外の理由を考えてみて欲しい。手に持った時のサイズ感や、走らせた時の挙動、再現したいディテール、細密感などなど。全く同じプロトタイプでも、サイズが違うだけで随分と受ける印象が変わったりする。大きいものには大きいなりの良さがあるし、小さければ小さいなりの良さがあるのだが、これは実際に手にして見ないとなかなかどうして理解されない。
・理解されないだけならまだしも、このところ自分の好きなスケールを賛美するために他のスケールを貶める人が見受けられる。当人にそのつもりはなくても、貶められる方はたまったものではない。他のスケールを嗜好している人に良さを伝えたければ、相手のスケールの良さも認めた上でないと相手にされないことくらい、少し考えれば分かると思うのだが。

・スケールに関する価値観に触れたので、このついでに素材に関する価値観にも触れておきたい。ここで指しているのはボディの主素材のことで、とどのつまりボディが金属主体なのか、はたまたペーパーやプラが主体なのかという話だ。
・現在、身の回りを見渡す限りではペーパーモデルは少なく、プラか金属が多いように感じる。これは製品の数や入手製に起因するもので、特にNゲージや海外製HOはプラ製品が主体である事から当然の様相だと思う。金額で比べれば安価なのはプラかペーパーで、ダイキャストを除く金属製モデルとは少なくとも2〜3倍、最近では10倍近い開きのある製品も見られる。ここで勘違いしないで欲しいのは、高いからといって必ずしも良いものとは限らないという事だ。高いものが安いものに負ける事があってはならないと思ってか思わずか、金属製モデルが好きなのは結構なのだが、何かにつけてプラやペーパーの製品を見下す人が散見される。
・金額が安い方が購入は容易であるし、多くの人が手に出来る以上、希少価値は薄れるだろう。しかし、それだけの事である。これによって、その素材の魅力が失われるなんて事はありえない。金属、プラ、ペーパーにはそれぞれに良さがあり、向き不向きがある。例えば、窓ガラスとボディの一体感ではプラ製品に、木製車両特有の歪みや丸みならペーパーに、表見の平滑度や全体の強度では金属製品に分があるだろう。もちろん、必ずしもそうと言うわけでなく、中には金属と見まごうような手の切れそうなペーパモデルも存在するし、プラ製品よろしく金属製モデルに巧みな窓ガラス処理を施しているモデルも存在する。こうなってくると、どの素材が優れているということは無く、得手不得手、好みの話と言えるのではなかろうか?
・ちなみに筆者が1番好きな素材は金属だが、これは素材が硬いために加工で失敗する可能性が低く、ろう付け出来ることから小部品であっても接合強度に安心感があるほか、溶剤が浸透しないために何度でも塗装をやり直せる安心感があるからであって、手に持った時の重量感があるからとか、質感が良いからという理由では無いことを書き添えておく。

・知っている方にとっては今更かもしれず、その際は読み飛ばして頂きたい。モーターの定格電圧に関する話である。今では主流と思われるPWM方式のパワーパックだが、これを使うときはモーターを始めとした電気部品の定格電圧に気をつけないと部品を破損するかもしれない。PWM方式のパワーパックの場合、電源が12Vの場合は12Vを流す時間を変えることで擬似的に電圧を変化させているため、わずかとはいえモーターには12Vの電圧がかかることになる。何が言いたいかというと、鉄道模型の最高電圧は12Vだから、これが想定されていれば問題ないのだが、車体が小さい車両などでこれ未満のモーターを使用しているとなると、モーターが損傷する可能性があるのだ。モーターを選ぶ際は、定格電圧が12V以上であるものを選びたいし、止むを得ず耐電圧の低いものを使うときは、特に注意が必要だろう。時折耳にする、PWMパワーパックだとコアレスモーター が壊れるという話の発端も、多くの場合でこれが原因なのではないかと思う。
・もちろんこれはコアレスモーターに限らずコアードモーターでも同じことが言える。ただし、コアレスモーターの方がレスポンスが良いため、コアードモーター以上に気をつける必要がありそうだ。また、PWM方式のモーター制御はパワーパックだけでなく、DCCのデコーダーによる制御でも用いられている。特にHO以上のスケールの場合、線路電圧が15V以上である事も想定する必要があるので注意したい。
・かような事情もあり、最近はモーターの定格電圧をよく調べるのだが、模型メーカーのホームページを見ても定格電圧が分からないことがある。特に動力ユニットに至っては、使用モーターの型番すら分からない事があって参ってしまう。模型メーカーからの情報がない場合は、モーターメーカーのホームページを見ればほとんどに場合はスペックが掲載されているので、これらをまとめた一覧表を作る必要がありそうだ。

・今月はなんだか愚痴ばかりなってしまった。もとより読者の多いブログでは無いが、これでは流石に申し訳が立たない。来月はもう少し工作に役立つような話題も盛り込みたいと思う。

2019年6月25日火曜日

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・雨が多いこの時期は引きこもるにはうってつけだけれど、塗装は捗らないし、かといって湿度の高いなかで汗をかいてはんだ付けをする気も起きず、なんとも始末に負えない。普段はツイッターでとりとめもない短文を書き散らしているけれど、自分の考え書き出すのに140文字の世界はなんとも不自由で梅雨の湿気ほどでは無いにせよ中々に厄介で、それならいっそ別の場所に吐き出して仕舞えば良いではないかと思い至った。月に一回くらいのペースで投稿していきたいと思う。

・dda40x氏のブログに興味深い一連の記事があった。要約すれば「16番もHOと呼べるのではないか」という内容で、いわゆる“ゲージ論”に関する話題である。それはさておき、ゲージ論といえば呼称の話題と思う方が大半だと思うが、そもそものゲージ論はゲージ対ゲージ、すなわちHOよりもNが良いとか、HOよりもOの方が優れている。という論争の事を指したらしい。Nゲージャーに向かって唐突にHOの方がいいに決まっているなんて言えば喧嘩になるのは目に見えているけれど、Nゲージはレイアウトを作るのに向いているがサウンドを楽しむならHOの方が有利という話なら、印象は随分違うだろう。もちろんこれは例え話であって、正しい意見とは限らない。ただ、異を唱える自覚があるのであれば、相手のことを尊重した上で自分の意見を提示した方が、お互いに気分を悪くせずに済むし議論としての価値も高まるのでは無いかと思った次第。何もこれはゲージやスケールの話題に限った話ではない。

・今月のアーマーモデリング(237号)に「いいね」のもらいかた。」という巻頭特集があった。“いいね”はツイッターなどのSNSにある機能で、その名の通りいいねと思った人がボタンを押すと押された数が集計されるというもの。とどのつまり、どのようにすれば作品のウケが良くなるかという話で、これは戦車模型に限らず世の中の多くの作品発表に通じるものがある。どんなに優れた作品でも見せ方が下手であれば見向きもされないし、平々凡々な作品でも見せ方一つで脚光を浴びる可能性があるとも言える。あまり人の事は言えないけれど、SNSを眺めていると作品の見せ方には気を使いたいと思う事が少なくない。同じ趣味人にとどまらず一般人にも注目されているような作者が実践している見せ方の工夫は見習いたいもの。写真の撮り方はもちろん、それに添える文章ひとつとってもないがしろには出来ないし、インターネットを使うなら動画を活用するのも効果的な手段の1つだ。写真や動画の編集で悪戦苦闘していると模型を作りたかっただけなのに何をやっているんだろうという気にもなってくるが、これを投げ出すなら反応がもらえなくても嘆いてはいけない。

・フィギュアメーカーとして有名なPLUMから国鉄201系(1/80)のテストショットが公開された。と書けばこれといって何の変哲も無い話だが、そういう話ではない。2年ほど前の製品化決定の報から何の音沙汰もなかったところに突然テストショットが現れたのだ。というのも、その製品化決定の告知パネルに使われた図面が個人製作図面の盗用で、そもそも鉄道模型を作ったことのないメーカーだったことも手伝って大きな話題となった。当然ながら図面の作者は遺憾の意を唱えメーカーに問い合わせ、詳しいやりとりを見たわけではないが結果として喧嘩別れに終わったとはその作者の弁。それから2年、最近のメーカーによくあるような3D図面を公開することもなく製品ページも作成されないまま全くの沈黙を破って突如としてテストショットが現れたのだから驚かない方がおかしいだろう。当然ながらその情報は図面の作者にも届き、元々の印象の悪さも手伝ってか、ここが違うあそこが違うという大指摘大会の様相を呈していたが興味深いのは周囲の反応だ。2年前は同情する声が多かったものの製品としての発売が具体化すれば話は別らしく、盗用被害に一定の理解は示せるもののここまでくると大人気ないという声を多く見かけた。プラで安価な出来の良い模型が発売されるならモデラーが歓迎しないわけもなく、どうやらユーザーを味方につけられるまで沈黙を押し通したPLUMの方が一枚上手だったようだ。盗用に関しては言語道断だが、平面図だけから立体模型の設計が出来るはずも無いので、筆者はそれとこれとは切り分けて1ユーザーとして応援したいと思う。テストショットの出来は素晴らしく、発売が待ち遠しい。

・プラモデルのパッケージには完成させるのに必要な塗料の一覧が掲載されているが、はたしてその色が本当に正しいのか疑問を抱いたことのある方はどれくらいいるだろうか?しっくりする色が無いではないかと説明書をよく読んだら「2:3で混ぜよ」というような指定があって面を食らうこともしばし。鉄道模型に話を戻そう。鉄道車両の中でも国鉄型には「車両標準色」という実物の指定塗料が存在する。ぶどう色2号やねずみ色1号といった具合で、とにかくどの車両の色にも何かしらの指定塗料があてがわれている。そして、模型でも多く使われる塗料は複数のメーカーから同じ名前の塗料が販売されていて、青15号を例にとると実に9社(うち2社は入手困難だが)から発売されている。自分の好みで選べば良い話ではあるのだがウケを狙うなら人気のある色を選びたいのが人情で、すっかり困り果てた私はツイッターでどの色が似ていると思うかアンケートを取ってみた。ツイッターのアンケート機能の選択肢は4つまでなので、入手性の良いもの3種と自家調色1種を合わせた4種で1度目のアンケートを行い、人気のなかった1色を後から入手したものと差し替えて2度目のアンケートを行ったところ、初回の1番人気が2度目は最下位に転落した。写真やモニターの具合で色合いは変わってしまうので一概には言えないが、人の目は存外にいい加減らしい。身もふたもないが、やはり自分の好みで塗るのが1番良いのかなと思った。