2019年12月31日火曜日

6

このところは風も冷たく、12月も末になってようやく冬らしい陽気になってきた。しかし、ふと忘れた頃に暖かい日もあったりして、どうにも調子が狂う。体調を崩している方も多い様子、体調管理には十分に気を付けたい。

先月の中頃、ツイッターのタイムラインに信じられない情報が舞い込んだ。中澤 寛氏が亡くなったというのだ。当初は誤報だと思いたかったが、その後に他の方からも同様の情報発信があり、残念ながら事実である事を受けいれた。氏と直接の面識があった訳ではないものの、春先の鉄道模型芸術祭、秋口の関東合運でお話を伺っていただけに、ショックは大きい。
氏の作品は、一言で表せば「よく走り、よく動く」模型だったと思う。台車にはイコライザが組み込まれ実にスムーズな走行を実現し、ドアやステップもモーターによって動作する。作品によってはトロリーポールも動くなど、見る者を圧倒させた。しかし、何よりも素晴らしかったのは、その技術を惜しげもなく発表し、公表されていた事だと思う。
鉄道模型趣味誌への記事もさることながら、実際にお会いすれば、そのような誌面には載せきれなかった数々のノウハウを、見ず知らずの私にさえも教えてくださった。
関東合運の際には、ドアを開閉させるためのレールとコマのユニット(ドアエンジン)の説明を訊くことが出来た。概要としては、エコーモデルで販売されている角パイプを上手く組み合わせ、駆動軸の軸受けは丸パイプを角パイプにはめる事で中心をだす他、コマには適度なガタつきを持たせるのが上手く動かすコツであるという事であった。手加工で出せる精度には限界のある事をよく踏また、失敗を積み重ねてようやく辿り着いた手法である事は想像に難くない。その場で見せてもらったドアエンジンが搭載される予定であったと思われる、西鉄の路面電車の完成を見ることが出来なかったのは重ね重ね残念である。氏は几帳面な性格で、1両作り始めたら、その車両が完成するまで他の車両には一切手をつけなかったそうだ。今後、その仕掛かりの西鉄がどうなるのかを知るすべはないが、此岸でも彼岸でも、此岸であれば腕の立つ方が引き継ぐ他ないだろうが、どんな形であれ完成を迎えたら良いなと、個人的には願っている。

さて、ここからは愚痴ブログ節が全開になってしまうが、本来であればタブーな妬み嫉みの話だ。
出会う以前から有名人なら何とも思わないのだろうけれど、身近だと思っていた人が急に評価され始めたり、はたまた年下なのに自分よりも腕が立ったり、同じ条件であるはずのあの人が誘われているのに、何故か自分は誘ってもらえなかった、などなど。立場によっては、思いもよらず妬まれることがある事を、このところ痛感している次第。
妬みを買うと言うことはそれだけ恵まれた環境なわけで、これは一重に周囲の方が良くしてくれているからであって感謝の念に堪えない。周囲にこう言うと謙遜だと怒られるが、自分の工作の腕は大したことないと本気で思っている。これは人付き合いにしても同じだ。もっと凄い人はこの世の中に幾らでも存在するわけで、あえて自認しているところがあるなら、まぁまぁの器用貧乏である事くらいだ。
そんな自分だからこそ、妬み嫉みの感情もある程度は理解できるつもりだ。入手困難な品は見たくないし、行きたくても行けないクローズドな集会にモヤモヤした経験もある。今だって、工臨や不定期回送の情報を得る機会はないから、そんな列車の格好良い写真を見ては「良いなあ」と指をくわえている事も少なくない。ただ、自分の本懐は模型にあると思えば、さほど羨ましいという訳でもなく、この辺の感情はうまく処理している。そんな私も、今となっては逆の立場になりつつあるらしい。たしかに、非公開の場に顔を出す機会も増えた。
思うに、あの人が居たら楽しくなりそう。盛り上げてくれそう。話をしていて楽しい。そう感じさせてくれる人であれば、よほど引きこもっているわけでもなければ、遅かれ早かれ声はかかるのかなと思う。行きたいオーラを出しているのに箸にも棒にもかからないのであれば、自分の行いを振り返ってみる事をお勧めしたい。私が顔を出している場所は、(昔は知らないが、今は)どこを見渡しても全員が全員凄腕という訳ではない。

自分には出来ないことが出来る人に対しての嫉妬や不安、それまで自分が築いてきたものの価値が下がるのでは無いかという危機感。そして、そこからくるのであろう、批判的・排他的・攻撃的な姿勢をとる人は、この1年で多く目にしてきた。それ自体はもう仕方のないことだと思うが、せめて自分くらいは無用な矛を人に向けないよう気をつけたいと思う。

今年の最後くらいは明るい話題で締めくくろうかと思ったのだが、困ったことに良い話題が思い浮かばない。というのも、そもそも明るい話題はツイッターで広く発信しているわけで、ここはその裏側、それと分かった上でも、あえて読みたい人へ向けた、負の感情や短文では誤解を生みそうな私感を吐き出す場所なのだから、思い浮かばないのが道理である。いや、正確には、嬉しい出来事や発見、密かに進めている前向きな案件も多々あるのだが「今はまだ語るべき時ではない」という、かの有名な一文を借りて今年の締めくくりにしたいと思う。